つくばインターナショナルスクール加納正康校長への告別の辞

 以下は、つくばインターナショナルスクールのシェイニー・クロフォード[訳者注:二人いる事務局長のお一人です]が,2011年3月24日の加納正康校長の葬式において読み上げた原稿です(実際の告別式では、時間の制約から短縮した物が読まれました。)

Eulogy for Mr. Masayasu Kano, Principal of Tsukuba International School (English version)


 加納正康先生は千葉県に生まれました。ご家族には4人の子供がいて、男の子二人女の子二人でした。先生は弟で末っ子でした。先生は千葉高校に入学し、東京の国際基督教大学において学位を取りました。先生はそこで、後に奥様となるちえこさんと会いました。

 ICUを卒業後、加納先生は海外ボランティアとしてエルサルバドルに行くことに決めました(一方、千恵子さんはマレーシアに行きました。)先生は現地で日本語を四年間教えました。帰国した加納先生は、茗渓学園創設期の先生の一人として働きました。茗渓学園は筑波大学の同窓生が創設した新しい私立学校でした。

 加納先生は茗渓に29年間勤めました。もし先生が2007年にある会議に出席していなかったならば、先生はそのまま定年まで茗渓に勤め続けたでしょう。会議ではつくばのインターナショナルスクールが話題になっていました。つくばには1992年以来インターナショナルスクールがあったのですが、ボランティアとして15年にわたり学校を運営していた方が神戸に転勤になり、学校の運営を続けられなくなったのです。何らかの理由によって、加納先生はこの機会を逃す手はないと考え、学校の運営を引き継ぐことに決めたのです。

 この会議とそれに続く一連の決断の結果、多くの人々の運命が変わりました。つくばには、今、フィンランドから輸入された材木から作られたすばらしい2階建て10教室の建物を持つインターナショナルスクールがあります。学校には9人のフルタイムの先生と、7人のパートタイムの先生、そして一人のパートタイムの事務手伝いと2人のフルタイムの運営担当が、61家族からの84人の生徒を支えています。つくばインターナショナルスクールがここまで続いてこられたのも加納先生のおかげです。学校の過去三年間の全ての成果は,2007年に学校を引き受けようと先生が決断したことに負うものなのです。

 ご家庭にお子さんがおられないにもかかわらず、加納先生にはたくさんの息子さんや娘さん達がいました。私が彼と出会ってからの三年間、彼が茗渓の元生徒達の話をしなかった日はないと思います。先生は茗渓生達の成し遂げてきたことに強い誇りを持っており、茗渓生のご家族に学校の活動について知らせ続けました。学校が助力や助言を必要とするときにはいつも、頼りに出来る茗渓の卒業生やスタッフを先生はご存じでした。又、茗渓生のご家族が私たちの学校を訪ねると、皆さんいつも加納先生がいかに皆さんを助け人生の指針を与えてくれたかを、話してくれました。私は、つくばインターナショナルスクールの発展において、茗渓のネットワークが欠かせない役割を果たしてきたものと信じています。私たちの学校は茗渓には規模でも卓越した名声でも及びません。それでも私たちの学校を茗渓の姉妹校と考えていただければと、望んでおります。

 加納先生はつくばインターナショナルスクールにおいて、生徒全員に対して個人的かつ情熱的な関心を持っていました。先生は入学希望者全員と面談を行い,一人一人の歴史について詳細に記憶されておられました。ただおかしかったのは、先生が名前をいつもごちゃ混ぜに覚えていたことです(先生はいつも名前を覚えるのに苦労されていました。しかし名前は間違えても生徒本人について忘れることはありませんでした)。先生は又、学校に必要な物を集めるのに凄腕を発揮しました。実際のところうちの学校には物が多すぎるという人もいるかもしれないほどです!先生は「大丈夫」とか「よし」という言葉の言い方によって私たちに励ましを与えているのを見るにつけ、先生が喜んでおられるのがいつもわかりました。

 私の人生において加納先生は,父として、そして人生に好影響を与える人物でした。同じように考える人が多いことを私は知っています。加納先生がどれほど多くの人々の人生に影響を与えたのか、数え切れないほどです。実際、私が加納先生がお亡くなりになられたというメールを出した後で、信じられないほど多くの人々が、先生とお亡くなりになられた当日あるいは前日に話したばかりでありとても強い衝撃を受けていると、知らせてくれました。あの地震の後でさえ、先生は森の中の学校と愛するお宅の手入れを続けました。これはつい最近知ったことですが、加納先生は仙台の東北インターナショナルスクールの校長に、地震から立ち直るまで泊まるように申し出られていたそうです。先生は疲れを知らぬ、典型的なネットワーク作りの達人でした。私がこれまでにあったもっとも親しみ深い人物であり、世界をよりよい場所にするために献身されていた方でした。

 実際のところ、加納先生には何千人もの子供達がいます。つくばインターナショナルスクールの人々は、先生のパワーとヴィジョンと情熱の恩恵に浴した、一番最後の人たちだったのです。私たちの学校に先生が与えてくれた貢献の代わりになりえる人物がいるかはわかりません。しかし、この非常に大きな損失にもかかわらず、私たちつくばインターナショナルスクールのスタッフと生徒達は、先生の夢と任務を今後も実現してゆく決意です。時に大きな困難もあるでしょう。しかし私たちは、学校を発展し続けることで、今後も加納先生に誇りに思っていただけるよう、ベストを尽くしてまいります。

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